秋谷治的个人简介
秋谷治,于1948年9月23生于日本枥木县。1974年取得东京大学人文科学研究科国语国文学硕士学位。1980年取得东京大学人文科学研究科国语国文学博士学位。1980年进入一桥大学经济学部任职,教授日本国语和日本文学。2015年担任行知学园日本语学校校长。人物经历
秋谷治出生于日本枥木县,早年毕业于一桥大学。而后取得 东京大学人文科学研究科国语国文学硕士学位以及东京大学人文科学研究科国语国文学博士学位。毕业后他全身心投入教育事业,数十年在工作岗位上默默奉献。昭和55年(公元1980年)进入一桥大学经济学部任职,教授日本国语和日本文学。于平成3年(公元1991年)成为 一桥大学经济学部教授。平成24年(公元2012年),对中国赴日留学生进行博士论文指导。平成27年(公元2015年),担任 行知学园日本语学校校长。
秋谷治校长,极具个人魅力。他为人诚恳,喜欢探索,富有内涵。他对于教学认真严谨的态度,感染了一代又一代的莘莘学子。他热衷于中日教育交流,让中国学生能更好的理解日本文化,在求知的道路上越走越远。而他对教育事业的热忱,也不断激励着更多的学子在求知的道路上勇敢前行。
教育成就
昭和43年4月(公元1968年4月)考入一桥大学社会学部
昭和49年 4月(公元1974年4月)考入东京大学大学院人文科学研究科
昭和55年4月(公元1980年4月) 一桥大学经济学部任讲师,教授日本国语和日本文学
平成8年4月(公元1996年4月) 一桥大学大学院语言社会研究科任教授
平成17年4月(公元2005年4月)兼任一桥大学日本语教育专攻教授
平成24年(公元2012年)对中国赴日留学生进行博士论文指导
平成27年(公元2015年)担任行知学园日本语学校校长
研究内容
日本文化论(日本人の思考式) 日本文学[民众文学]
日本文化论(日本人的思考模式)日本文学[民众文学]
研究领域
文学/日本文学
研究课题
研究时间:1949年-1949年
说U节の书志学的调耍s史调耍挨怀?保存法
研究时间:1949年 - 1949年
室町时代物语の研究及び奈良}本の研究
出版书籍
1983年
「研究资料日本古典文学」第1卷
「物语文学」第10「剧文学」 明治书院
1985年
「お伽草子」、「おようの尼」考(日本文学研究资料丛书 有精堂)
「国语と国文学」志
1992年
「室町物语集 上、下」、「岩屋の草子」、「西行」、「乳母の草子」
「新日本古典文学大系」岩波书店
1983年
「西行全集」「西行物语」2种、「西行」、「小町の草子」日本古典文学会 1996年
「岩波日本古典文学大辞典」岩波书店
1989年
「室町物语集上」「室町物语集下」
(岩波书店刊「新日本古典文学体系」第54卷、55卷,平成元年、4年)
岩波书店
1995年
「小栗判官の世界」编?著
「八王子人形剧フェスティバル」g行委员会
1998年
「日本文化の伏流 民众芸能 说U节集 上,下」
法政大学多摩地域社会研究センタ`刊
论文
永本「西行物语」考:「西行物语」原型を探る
秋谷治 一桥论丛 86(5) 622-644 1981年
说U节の煌常核到U祭文と越後瞽女
秋谷治 一桥论丛 97(3) 304-326 1987年
「岩屋の草子」考:东寺系R荷?Q音信仰とのvわり
秋谷治 一桥论丛 103(3) 307-324 1990年
说教祭文の江跗谧柿闲】
秋谷治 一桥论丛 116(3) 511-531 1996年
佐々木义阎缸舳嗓喝诵韦肖胜贰
秋谷治 一桥论丛 117(3) 507-513 1997年
民众文化の徊イ淙荩骸杆到踏丹の男±跖泄?照手の工颏幛挨盲
秋谷治 一桥论丛 121(3) 409-423 1999年
「说U节小栗判官の鬼鹿毛」
「文学 解と鉴赏」 第64 8号 「多摩のあゆみ」第95号
秋谷治 1999年
芸能の流:说U节の场合
秋谷治 一桥论丛 125(4) 432-446 2001年
「厨子负ふ」考 (上)
秋谷治 一桥论丛 128(3) 257-270 2002年
「文献仕鳏韦郡幛挝南啄垮h」
秋谷治 私家版 2003年
文献探摔问忠
秋谷治 一桥论丛 129(4) 466-482 2003年
文献目h「补 文献探索のための文献目h」
秋谷治 私家版28页分 2004年
「奈良}本」の一}师小考
秋谷治 言语文化 44 51-65 2007年
「奈良}本」の一}师考(A)
秋谷治 言语社会 3203-214 2009年
演讲稿
秋谷治「17世纪中叶の奈良}本}师にvする寸见」
中世文学会2005年